「フィクションを条件とするリサーチ—まなざし、書き、浮き上がる」
このようにして五城目・朝市の居場所を考えてきました。いま「居場所 9 箇条」を 述べましたが、私たちはテキストで表された具体的な物事一つ一つも損ないたくないと思っています。じっくり読むと、ふと泣けてくるようなものだと思っています。
最後に、今回の取り組みにどのような力があったかについて述べたいと思います。今回のプログラムは実は文化人類学という学問分野の手法をベースにしています。文化人類学はふつう言葉の通じない環境で 1 ~ 2 年かけて調査を行い、調査先で観察した事柄から人間(の文化や社会)について一般的なことを言う学問です。
調査では地味なこと、当たり障りないこと、重要と思われないことも含めて、なんでもメモすることが重要とされています。調査は誰でもいつでもできます。極端な日記のように、自分の生活について事細かに書くことができれば(それがとても難しいのですが)、わざわざ遠方に赴かなくともすぐに始められます。
そして、実はそのことは、今回のフィールドである秋田県、そして五城目において昔から行われてきたことでした。私の調べた限りですが、明治期の地域の名士による俳句の教育、大正期に活発になったプロレタリア文学、そして生活綴方運動に影響を受けた北方教育運動、五城目町出身の館岡栗山が始め現在も発行が続いてい る地域新聞・湖畔時報、またたくさんの短詩系文学の同好会。これらは自分や周囲の生活環境をまなざし、それについて書くことで生活を変革していくことにほかなりません。
たとえば北方教育の目的は、直面する生活の苦しさ・貧しさを実際に変革していくことにありました。しかし、いくつかの代表作を読むと、大正~昭和の東北における生活の苦しさは文章からだけでは伝わりません。小学生である著者たちも何か特別な思いを表明しているようには思えません。むしろ自身の目に映ったものを正直に書くことに努めている印象があり、それは北方教育の指針でもあります。貧しいとか苦しいという前提なしに、ただ「生活」というよくわからないものを、辛抱強く直視する言葉と体力を養うこと。本書で試みたことの半分は、この生活をまなざし、書くことの練習にあると思います。
しかしそれだけではありません。先に挙げた俳句を中心とする短詩系文学がそうであるように、生活のなかから美しいものを創造することも可能です。生活から身を引き剥がし、好きなように並び替え、元の風景からは見て取れなかったものを見えるようにする。俳句の手法に「取り合わせ」というものがあります。関係なさそうな突飛なものを 15 字のなかに無理やり組み合わせることで、面白い印象を生み出すことです。
本書が試みたことは、数々のフィールドノートの抜粋を並べ替え、そこに新たな見出しをつけ目次を作ることでした。それによりフィールドノートが書かれた当時の文脈からは見えなかった意味や感じが強制的に生まれます。朝市のこと、居場所のことを考えるのに、「今年はまだ来ていない長芋農家」はどんな風にも組み合わ られるし、「森山の中にディズニーランドがあってもよい」ということです。
本質的なことを、無責任にやりましょう。今この現実を変えていくために、現実にたしかに根差しながらも、現実を離れ、自由に軽い気持ちで浮き上がる努力をすべきであることを強調したいと思います。