Three from Two 現在を観察・記録し、
"これから出現するはずのなにか"を形にする

「猟圧と消滅圧、あるいは軟弱地盤に立つ」

Journal 2025.12
Landscape

息を潜めて茨の茂みを歩く。池の角の頂点付近で、持っていた伸縮式の網をガチャガチャならし、「ホ!」と強く声を出す。思い描いていた反応はなかった。池の端っこに寄せたはずの鴨は、茂みを歩くうちに水路を伝って逃げたか飛び立ったようだ。この日、結局鴨は一羽も取れなかった。

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鴨猟は、数ある狩猟のスタイルの中でも比較的楽しい部類だ。まず、マップアプリで地形地図と航空写真を交互に見比べ、鴨が集まっていそうな池とその周辺の道路のアプローチについて作戦会議する。目的の池に到着すると、ソッとドアを閉め、鴨からは見えづらい地点に銃を持つチームが立ち、もう一つのチームは池の逆側へ向かう。

じわじわと姿を鴨に見せながら歩いたり、こっそり回り込んでから音を立てて存在を知らせることで、鴨を銃を持つチームの方へと追い込む。その圧力に耐えられなくなった若い数羽が飛び立ち、これに続いて群れが飛ぶ。銃を持って待ち構えるチームは、向こう側からこちら側に向かって飛び立った鴨の群れを撃つ。鴨が一羽二羽、池に落ちてきて、釣竿や網で引っ掛けて回収する。

ここには将棋やサッカーのように「こっち側から攻めて、あっち側から攻めて」という戦術があり、道具があり、陣形や配置がある。熊や鹿、猪を狩る猟が、動物の足跡をたどることで居場所に接近していく線的なアプローチ、あるいは見通しの効く場所から眺めて動物を見つけ、居場所を特定する点的なアプローチだとすると、このような鴨猟は面的なアプローチと言える。スクレーパーで掬い取るように、広がっている鴨の群れを1方向にじわじわとかき集めるようなイメージで、個体を狙うのではなく、群れを追い込む。

Map analysis Hunting ground Tactics

「猟圧」というハンター用語

ところで、一羽も取れない日のことを、猟師たちは「猟圧」という言葉で説明する。「猟圧」とは、動物が人間(猟師)を恐れて警戒するレベルのことであり、猟圧が高ければ、動物は狩猟者に慣れていて敏感にこちらの存在を感知するし、飛び立つのも早い。警戒心の強い動物であれば、そもそもその場所にしばらく訪れなくなることもある。釣りでいう「スレ」に近い。基本的にはどれだけその場所で狩猟者が動物を頻繁に狩っているかに対応する。これを「圧」、つまり、面的な力で表現する。

猟圧を高めない狩猟のスタイルもある。箱などを設置するわな猟を行い、捕獲した動物を自宅などに持ち込んで行うのであれば、動物が捕獲されたという痕跡は、他の動物に伝わりづらく、猟圧を抑えられる。とはいえ、鴨が好む人気のスポットには入れ替わり立ち替わり猟師も訪れて狩りを行うから、猟圧を低く抑えるような工夫がどれだけ効果的かはわからない。

猟圧に対する動物の反応は、驚くほど正確でもある。たとえば、鴨猟には「民家から200メートル離れていないと撃ってはいけない」や「鳥獣保護区に指定されたエリアは撃てない」といったルールがある。人間側はそれを法令、つまり一般化された規則として認識しているが、動物たちもまた、それに対応するかたちで行動を変えているように見える。私たちを煽るように民家沿いの川や鳥獣保護区のエリアで休憩している鴨の群れ。鴨は「ここは民家から200メートル離れてるから大丈夫なんだぜ」とか「ここは鳥獣保護区だから撃っちゃダメなんだぜ」といった話はしない。「ここでは撃たれた」「ここでは撃たれない」という具体的な記憶に基づいて判断しているのだろう。

Bear warning Landscape details Collage 1

2025年秋、都市のクマ

この「猟圧」という言葉は、2025年秋、頻繁に耳にするようになった。2025年秋、クマの人身被害や市街地出没の話題は、日本中でかつてないほどに高まっていった。秋田の県庁所在地の中心市街にクマが頻繁に出没する。市街地に出るクマは山に出るクマと状況が違うらしい。曰く、パニックのようになっていて、人を見れば襲ってくるらしい。

秋田市の市街地に住む筆者はこの時期、家からコンビニに行くにも車を使うようになったし、玄関の戸を開けて車に乗り込む際にも緊張感を覚えた。実際に、通勤のために家を出て車に乗り込むまでの間にクマに遭遇して襲われた事例もあったから。町のあらゆる物陰や草陰に、クマがいないかとソワソワする。あらゆる陰にクマが潜在している。そのようなプレッシャー、いわばクマ圧を私たちは確かに感じた。

クマの話題が沸騰して数ヶ月、日毎に確認するクマダスを通して私たちは、クマを面から点に捉えることも可能になったかもしれない。クマダスのピンは、あくまで報告や目撃を示すものであり、ピンの数だけ生息しているわけではない。これに慣れてくると、「だいたいこのあたりに、クマ1匹住んでるんだよな」という予測ができてくる。そうすると、すこし可愛げも出てきて、近くを通る時には「あの辺にいるかな?」と脇見する。あらゆる場所に潜在するクマは、少しずつ個体として特定の場所や時間と紐付けて把握されていく。こうしてクマ圧は少しずつ解消されていくかもしれない。

一方、クマの市街地出没問題には、やはり猟圧を高めることが重要な策だと言われる。市街地や人里に出没するクマが十分に駆除され、猟圧が高まれば、クマはそれを学習して山にとどまるようになるかもしれない。無論、山に食料がないなどクマの市街地出没にはさまざまな原因があるのだろうが、猟圧を高めていくことは、現在の施策の大前提になっている。圧という言葉は、人と動物が社会ないしは群れというスケールで対面するときに作動する力のことをいう。

Collage 2 Collage 3

軟弱地盤に立つ

200年後の秋田を想像する。行政区分は大きく変わっているだろうし、この200年の歴史に照らせばいくつかの地形すら変形しているかもしれない。土木工事の担い手は減り、地域で行われていた草刈りや雪かきはできなくなる。郵便が届くのに5日くらいかかる。インフラの劣化。人の住む場所が狭くなるのに反して、草むらは広がるだろう。八郎湖は外来植物に覆われ、その間をクマが泳いで渡るかもしれない。

人が豊かに生きながらえるのに「文化的なもの」が必要かどうかは置いておくとしても、人がいないところに文化は発生できるのか。あるいは、消滅するかもしれないというプレッシャーは、一体どのようなプレッシャーで、そこからどんな文化が花開くか。

外部からの圧力が、ふつう内部の結束を強めたり、確たるアイデンティティを確認したりするような、地盤を固める反応を引き起こすのに対して、消滅のプレッシャーはむしろ真綿で首を絞められるような、気付かぬうちに空中で霧散してしまうような、浮遊感覚を伴う反応を想起させる。たとえば、俳句。間延びした生活の中に幾つかのありがたい景を取り合わせて俳句を詠む。季語という地盤的中心を取り除いてしまえば、それぞれはゆるい紐帯でギリギリ繋ぎ止められている。

何もないところに何があるのか。硬い地盤はここにはない。よく見れば微妙にある起伏。スニーカーの中敷のふくらみともはや区別がつかないような地形の手がかりをもとに、グラグラとする梯子を立てる。そのようなやり方は、これから出現するはずの文化を支える。

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鴨猟は、つねに「期待」に溢れていた。マップから池に目標を定めた時点で、その池には鴨がいることを前提に作戦が始まる。池の端に安易にこちらの姿を見せてはいけない。そーっと覗き込んで初めていそうかどうかがわかり、いるとなれば、さらに期待は膨らむ。そこに存在するしないに関わらず、私たちは存在の気配を感じ、警戒したり期待したりすることができる。心を動かすのに、確固とした存在は必要ではない。

Closing