Three from Two 現在を観察・記録し、
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「世界の片隅の釣り——庄内竿とインドネシアの怪魚釣り堀」

Journal 2025.05
世界の片隅の釣り_学会フリペ_02
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世界の片隅の釣り_学会フリペ_01
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ジャカルタの怪魚釣り堀から

2025年4月4日、朝。ジャカルタを旅行中の私は、中心部からタクシーで1時間ほどの郊外にある釣り堀に来ていた。ここは怪魚釣り堀として有名で、熱帯ならではの巨大魚が釣れるという。日本からの客もよく来ているらしかった。

門をくぐって坂道を降りていくと受付兼休憩所のスペースがあり、そこから池が見渡せる。田んぼくらいの大きさに区画化された池が約10面。真ん中には小屋が立っていて、椰子の木みたいな樹木がそこに木陰を作っている。微かに霧がかっていただろうか。まるでリゾート地のような景色に思えた。

サメみたいな怪魚、マンボウみたいな怪魚、それからレッドテールキャットフィッシュ。釣りビギナーの私にとって、80cmを超える魚たちが入れ食い状態の釣り体験は、わかりやすくエキサイティングだった。

昼食を食べた後、釣り人の面倒をみてくれる常駐キャディ(スタッフ)が奥の方の池を案内してくれた。そこには、1mは優にある、ヒゲが生えたり口が尖ったりした金色や赤色の南米原産の巨大魚たちが静かに回遊していて、「外来種を規制する法律によって商売では使えなくなったから釣っちゃだめなんだ」というようなことを言っていた。

イスラム教徒が大半を占めるインドネシアで、ラマダーン明けのお祭り状態だったことを考慮しても、明らかに日本を上回る消費意欲の熱気に包まれた国際都市ジャカルタの郊外で、私はほとんどがグローバルな仕組みによって支えられた釣りを楽しんだ。

庄内竿磯釣り大会

2025年5月4日、朝5時。山形県鶴岡市加茂港で第一回庄内竿磯釣り大会が開催された。庄内竿を中心にした釣り文化の継承を目指す地元の有志によって立ち上げられたこのイベントは、庄内竿を使って黒鯛を釣る「勝負」の大会だ。

現役の職人が作った庄内竿、しかも昭和の釣行スタイルに合わせて作られた二本継ぎ竿ではなく、正真正銘の5mを超える一本竿が、今回の参加者10数名に貸し出され各々に引っ提げて磯に向かう。

スパイクシューズを忘れてきてしまった私は、スニーカーで恐る恐るメンバーを追いかけた。5mの竿を片手に磯の岩壁にへばりつき、ほとんどクライミングの要領で滑らなさそうな窪みを探しながら進む。釣り場に着く頃には心身ともにへとへとになっていた。

江戸時代、戦乱のなかった庄内藩の酒井公は武士の鍛錬として釣りを奨励したという。鶴岡城から海へ歩き通し、さらに磯場を歩いて、それぞれの持ち場で黒鯛を釣る。なんとも楽しそうな釣行だろうと思うが、藩主は釣りを「勝負」と呼び、磯で滑って海に落ちた者は減俸になったらしい。鶴岡城の隣、致道博物館に残る歴代藩士たちの釣竿コレクションは刀のようである。最古の魚拓は庄内藩藩主によって作られたもので、やはり黒鯛はシンボルだった。彼らは私たちが想像するよりも、いたって真剣だった。

庄内竿はそうした逸話に溢れていて、数々の資料を通して遡ることができる。それを知ること自体がとてもロマンがある行為だ。それに加えて、私たちはこの日、数百年前と変わらぬ実際の磯で、実際の竿で、実際の魚を釣る。きっとかつてのお殿様は同じ景色を見ていたに違いない。その気になれば、タイムスリップすることができる。そんな「ローカルな」釣りのロマンが、この釣り大会には詰まっている。

そして、世界中を探してもそんな体験が成立するのは珍しいことに違いない。日本海は、この100年で世界で最も海水温が上昇している海と言われており、(例えば秋田でハタハタの漁獲量が激減しているように)釣れる魚の種類がどんどんと変化しているらしい。また、能登地震による地殻変動で一瞬にして海岸が4mも隆起し、磯の地形が変化したことも記憶に新しい。さらに、職人技術の後継者不足の問題もある。技術継承に加えて、材料確保(例えば竹を刈り取る場所)の知恵が失われることも大きな問題となっている。

当時と変わらぬ場所があり、道具があり、シンボルの魚がいるということはほとんど奇跡のように思われる。

魚信は突然に

予報通りの雨風が出始め、足元を波に洗われそうになりながら耐えていた私の竿に何か重たい力がかかったように感じた。それは岩のような硬さで、根掛かりに思えた。しかし、左右に走り始めると、確信に変わる。

これが、魚信!

大きく竿がしなり、それに合わせて竿の角度をどうにかする。どうすればいい?自分も竿の一部になるように、脇を広げて腕を高く上げる。それがいいかはわからない。

無理はしないが、主導権は握る感覚。そう、インドネシアでひたすら握らせてもらった主導権というやつをここで発揮する。

魚影が見え、黒鯛だとわかった瞬間、周りのメンバーからも遠くの参加者からも歓声が上がった。

サプライズの優勝景品が用意されていた。今回の庄内竿を提供した職人による二本継の庄内竿だ。激安ロッド&リールしか持っていなかった私は、ちょうど数日前に初めてエギングロッド&リールを購入したばかりだった。エギングロッドは万能らしいという理由で選んだのだ。

いただいた庄内竿の使い方について伺うと、「なんでも釣れるよ。アジでもメバルでもなんでも。色々試してみるといいよ。黒鯛も、まあいけるかもしれないねえ。」という。「万能」がとてもいいなと思うのは、もしかするとどのような場所も相手も受け止められるから、つまりはローカルを求めてかもしれない。いずれインドネシアにも庄内竿を持って・・。

釣りは信じることに関わる

釣竿を通して黒鯛の存在を予感することと、磯を歩き岩礁の先で黒鯛を釣り上げることを通してかつての殿様の存在を想像することはほとんど相似形だ。そしてインドネシアの釣り堀で、ゾワっとするような怪魚を覗き込むこともまた信じることに関わっている。ここに何かがいるという感覚が、世界を広くする。

しかし、あらゆる釣りが研究され尽くされた時代に、世界は(上に書いたような理由も含めて)確実に狭くなっていっていると言われるのかもしれない。今後、どのようにして私たちは日本の、あるいは世界の片隅でのみ成り立つ釣りを作っていけるだろうか。さまざまな場所、物の移動やシンボルの配置によって、その場所、その時にしか成り立たないような体験を。

そして、まだ誰も体験したことがない釣りは、どのように実現できるだろうか。私たちは釣り堀を作ることができるし、地殻変動によって新たな海岸線も生まれている。カーボンロッドも、庄内竿もある。